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四国お遍路の旅2【初心を忘れず、自信をつける旅】

※四国88箇所お遍路の旅行記。感じたこと、気づいたことなどを中心に記録しました。

 

2日目。

お寺を回っていくごとに徐々に作法にも慣れてくる。
すると僕のある気持ちが頭をもたげてきました。

僕以外でお遍路の格好をしている人が、作法のやり方が違っていたり(あくまでも自分とは違っているという意味。自分のやり方が正しいのかは定かではない)わからないでいると、

 

「そんなのもわからないのかよ。ちゃんと勉強してこいよ」
と反応している自分がいた。

 

昨日は自分が分からないでいて、教えてもらっていたのに、自分が少しできるようになると思い上がる。

 

「調子乗るな、自分。」

 

 

日常でも同じことは多々起きる。
例えば、自転車。

 

自転車に乗れる人はごく自然に乗りこなす。
でも、自転車にまだ乗れない人にとっては難しい。
でも乗れる人は、

「何で乗れないの?」
となる。

・・・自分も乗れない時期があったのに。

 

 

人はそのステージをクリアしてしまうとそのステージを意識しなくてもできるようになります。
だから今まで自分ができなかったことや苦労したことを忘れてしまいがちであるのかもしれません。

 

上司が部下に指導するときもそう。親が子に何かを教えるときも。

「あの時自分はどうしていたかな」と振り返ることで、
今できない人の立場に近づくことができ、自分も初心を思い出すことができるのかもしれない。

 

 

予想がしていたが筋肉痛がヤバい。
しかも今日は「お遍路ころがし」と言われる難所である。
11番の藤井寺から12番の焼山寺までは登りと下りが激しい場所だ。

 

 

寝袋やテントが入ったリュックを背負っているので、ひざや腰にかかる負荷は大きい。
登り始めてしばらくすると、運動不足にもほどがある僕の体は当然しんどくなり始める。

 

「ここで休憩をとってしまおうか・・・」

 

「いやまだ行ける。」

 

弱い自分との戦いが始まった。
弱い心はすぐに足を止めたくなる。

 

 

本来人間は、楽なほうへ楽なほうへいく生き物だ、と誰かが言っていた。

だからこそそこで踏ん張るか、易きに流れるのかが人生でも分かれ道になるのかなと思う。
社会の第一線で活躍する人は、分かれ道に立ったときに踏ん張った人だと。

 

 

何度もリタイヤの道、妥協の道が手をこまねいているのを振り切り、道を突き進めてきた人たちだ。
僕もなんとなく生きるよりはそういう生き方をしたい。

 

 

もう一つ。
「自信」について。

 

それも外側を着飾って武装しただけのものではなく、内側からにじみ出ているような自信。

 

本屋などに行くと、自信のつけ方などの自己啓発本がたくさん並んでいます。
でも、もっと物事はシンプルなのではないかなと。
分厚い本を読んで自信について研究するのは心理学者くらいでいいと思いまして。

要は、どのくらい自分に勝ってきたかだ、と足を木の根っこにとられ一人でずっこけたとき僕は思った。

 

 

別に大きなことを成し遂げないと自信がつかないわけではない。

小さなことでも踏ん張れた経験、妥協せずにやり切れた経験、自分の弱い心に負けなかった経験が自分の中に安定をもたらし、静かな自信となってあふれてくるのだと。

 

「静かな自信」を体得した人は実に温和な表情をし、振る舞いが美しいなと思います。
変にガツガツしたりギラギラしたりしていない。

 

だから僕は、キツくなったときは自分に

「自分に負けていいのか。魅力ある人間になりたくないのか」

と割と大きな声に出しながら登っていた(笑)

 

 

どうか他の人に聞かれていませんように。。。

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