何で四国の88箇所お遍路をしようと思ったのか。
自分でもよく分からないし覚えていないのですが笑、
3年ほど前に須藤元気が四国お遍路のことを書いた「幸福論」を読んではいたが。それがきっかけな気がします。
僕はイチロー、中田英寿、須藤元気が好きです。
その3人に共通しているのは、
・ 内観し自分を冷静に見つめていること。
・ 哲学的思考を持ち合わせており、世間に流されることなく自分の信念に従って行動していること。
・ 自分の人生に対して真剣であること。
・ 精神的、経済的に自律・自立していること。
このあたりでしょうか。(残念ながらご本人達と直接しゃべったことがないので、あくまで想像の範囲を超えない・・・)
枠にとらわれることなく自分の人生を生きることは簡単なようで意外と難しい。
どうしても自分の既成概念、先入観、不安、恐怖、世間が形成する風潮などが付きまとうからです。
ものごとを何の色眼鏡をかけずに見ることのできる人はおそらくほとんどいないんじゃないかなぁ。
ある事象があったときに人間は必ずと言っていいほど、自分の経験やら知識やらを通してそれを見る。いわゆる色メガネをかけているわけですよね。
それがいいとか悪いとかではなく、何かものごとを見るときには一定のバイアスがかかっているということを自覚していること大事なのではないかなと。
そうすることによって
「もしかしたら私の見方は偏っているかもしれない」
と自分を客観視でき、視野や視点が広がる気がします。
それを踏まえて自分の流儀を大切にし、貫いて生きている人はやっぱり同じ人間として尊敬するし憧れる。
そのような境地に近づくためにも自分を深く見つめることが大事なのではないかなと最近は思います。
いくらきれいごとを言ったところで、人は自分自身のことしかわからないのは事実。
だからまずは自分を探求することから始めようかと。
そして徐々に自我の拡大を図り、全てはもと一つだという感覚を体感すればいいじゃないか。
まずは自分。自分が地に足がついていないと話にならない。
その考え方が僕の根幹を成している。
お遍路グッズを揃えていざ一番のお寺へ。
お寺での作法などを前もって本で読んではいたが、やはり頭でわかるのと実際にやるのとでは違う。
知識と経験はやはり雲泥の差がある。
周りから見たらかなりおどおどしていた青年(少年?笑)に見えていただろうな笑。
でもとりあえず本から得た知識の通りにやるしかない。。
チャッカマンでロウソクに火をつけ、線香を3本取り出しロウソクの火にあてがう。
そして、お賽銭をして自分の名前を書いたお札を安置されているご本尊に向かって経文を読み始める。
すると、
「これ、逆よ」
と後ろから声が。
振り返ると団体ツアーで来ていたおばさんだった。
首からかける、たすきのようなものである『袈裟』が逆だったのだ。
僕はとっさに
「あ、本当ですか?」
と言って袈裟を確認し、そのおばさんに「どうも」と言った。
ここで僕は反射的に3つのことに腹が立った。
1つ目。
本当はその袈裟が逆かどうかも知らなかったくせに、あたかも「そういう風につけることは知っていたが、うっかり逆につけてしまっていた」という素振りをした自分に対して。
2つ目。
おばさんに指摘されたこと自体について。
ようは、自分の無知を認めなかったこと。
そして3つ目。
純粋に人が教えてくれたことに対して素直になれなかったこと。
「一時の恥は一生の智恵」
ふとこんな言葉が降ってきた。
知ったかぶりをする。ちょろっとかじっただけだったり、その言葉だけを知っているだけだったりなのに、全てを知っているかのように話す。
これはいかがなものかと。
相手にもいい印象が与えないし、自分にも嘘をついていることになります。
知らないことは知らないと認め、素直に学ぶ。
この姿勢は人生を生きていく中で絶対外せないことだと自分の心に言い聞かせました。
1日目は約8時間歩いて終了。
これからどんなことが待っているんだろう。
ワクワクとちゃんと全部88箇寺回れるかの不安の中、明日に備える。。。